デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金
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 基金で活動した人々
 
有馬真喜子

アジア女性基金理事
1933年生。57年朝日新聞社入社、68年よりフジテレビ・ニュースキャスター。国連婦人の地位委員会日本代表。95年アジア女性基金理事、副理事長。98年国民生活センター会長。04年よりユニフェム日本国内委員会理事長。06年女性人権機構設立、理事長。

有馬真喜子氏
 
 

 その日の朝に、発言のテキストの英語と日本語が合致してなかったの。それを刷り直したんですよ。大使館を挙げてやってくださっていました。・・・ロサさんたちは4人おいでになるはずだったんです。ところが3人に減ったんです。お一人はどうしても顔を出したくないということでした。入ってこられたとき、みんな晴れ着じゃないですか。とっても明るい。びっくりしました。あれは本当うれしかったですね。・・・やっぱりあのときは涙が出ましたね。本当に、晴れやかな格好をして、穏やかにおばあさんたちが座ってるじゃないですか。この人たちが少女のときに慰安婦にされて、兵たちが毎日、それこそ性奴隷にしてたんだって思うと、私たちの国は何をしてきたんだという感じがありましたね。
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林 陽子

前アジア女性基金運営審議会委員
1956年生。1983年弁護士登録(第二東京弁護士会)。97年にミネルバ法律事務所を開設。95−2005年アジア女性基金運営審議会委員。

林 陽子氏
 
 

 私は、こういう事業を通じて、やっぱりこのフィリピンの民主主義とか、女性運動のすばらしさということは、すごく肌で感じました。よくフィリピンの事業が成功したのは国が貧しかったからとか、お金が欲しかったんだっていうことを言う人たちがいますが、本当にフィリピンの社会のことをわかっていないんじゃないかって思うんですね。フィリピンの運動は、本当に女性中心の女性運動ですよ。それに対して、日本の慰安婦運動をやっている人たちの中心には男性がいて、男性が中心でやっているっていう面が非常に強いですよね。そういう意味で、私は日本の女性運動というのは、フィリピンに比べたら何十年もおくれている、と思いました。
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松田瑞穂

前アジア女性基金業務部長
1941年生。75年キナード女子大学(パキスタン)勤務。82年アジアキリスト教協議会勤務。88年日本キリスト教婦人矯風会女性の家HELPディレクター。96年−05年アジア女性基金業務部長。女性人権機構事務局長。

松田瑞穂氏
 
 

 初めのうちは、家の改修やテレビのようなことに対しては、贅沢だとなかなか政府関係者の理解がないわけです。それで、おばあちゃんたちは、そのことで家族からせっつかれます。フィリピン人の概念で言うと、やっぱり住む所が整って、それからですよと、外見を気にします。家族のためにお金使いたがります。そんなことに使うのではなくて、病気になったときにとか自分のために使えばなどと対立します。そこら辺のギャップをどうやって埋めて、双方の言い分を仲介するか。リラやロラたちとの決定的な対立を避けるための調整は結構しました。
 だけど、一度そういう理解ができると、あとは地方にソーシャルワーカーを定期的に派遣することが出来る様になりました。途中で物価が高くなって、そう頻繁に飛行機で訪問できないとか、その後も問題はありましたが、最終的には10人のソーシャルワーカー、事務員2人で医療福祉事業を実施しました。社会福祉開発省への貢献もある程度できたということで、うまくいったと思います。
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